つむぎの館について

手織りの「原点」結城紬を後世に [全文]

手織りの「原点」結城紬を後世に遺したい。
そのためにはどうしたらよいか。
単純にものを見せるだけでは、なかなか理解していただけません。

結城紬の歴史や高度な技術のことも知っていただきたいし、丁寧にわかりやすく説明して、その価値を広く伝えていくことが必要だと思います。

一般の人にも紬を紹介し、親しんでもらえるミュージアム的な総合施設は、失われつつある世界の大切な織物を遺産として残してゆく運動のモデル事業として、大きな意味があります。

『つむぎの館』の構想は、このような使命感から出発しています。

人間の身を守る布、その布をつくる原点、つまり本当の手仕事といいますか、こうした貴重な織物は、世界中にまだまだ残っています。

結城紬はまさにその一つと言えます。
最高の絹織物は結城紬ですが、綿ならインドのダッカ綿、麻なら韓国のハンサンモシ、ウールにはシャトーシュがあります。
しかしそれらが消えようとしています。

機械化による大量生産などで、手間のかかる仕事が安易で簡単な方式に流れていくのは、後進国などではさらに避けられないことでしょう。
かつては3万反の生産量を誇った結城紬も、現在では2000反弱、15分の1に落ち込んでいます。
このままでは、伝統的な高度な技術も否応なく失われてしまいます。

結城紬は全てが手作りということの大切な砦だと考えています。

なんと言っても人の手でつくられるわけですから、つくり手それぞれの思いが込められています。
おばあちゃんが糸を取ったのを括り、染め、織り上げる。
家族はじめ紬に関わる大勢の人の、手間暇かかる協働によって、一つの反物が仕上げられていくのです。

人の手から手へ、その温かさが着る人を優しく包むのだと思います。
それが手織りの原点ではないでしょうか。
現在も結城紬がそのようにして存在しているのは素晴らしいことです。

これが、年間100反、200反のレベルになってしまっては、紬を私たちが実際に着ることもできなくなります。
だから地域の文化として、産業として、なんとか残していきたいのです。

スタートは、30年ほど前に既存の蔵を改造してつくった資料館「手緒里」でした。
昭和40年代後半から手作りや手仕事が全国的なブームになり、当地にもたくさん見学者がやって来ましたが、その頃の結城には、お見せできる資料らしい資料もなければ、織物に触れて楽しんでもらえる施設もありませんでした。
うちには、祖父の代から集めた古いものがいろいろ残されていたので、それらを元に、「小さくてもいい、とにかく結城紬を知ってもらえる施設をつくろうという」気持ちでした。

「つむぎの館」は、古い城下町の風情を色濃く残す結城市大町通りに面する当社の敷地内にあります。
通りをはさんで県が有形文化財に指定する3つの見世蔵がありますが、その一つ、ギャラリー&カフェ「壱の蔵」の向かいから奥に歩を進めると、広々とした明るい空間が開けます。
中央にはゆったりと心休まる緑の庭が配され、それを囲むように白木の色も真新しい建物が並びます。

以前の陳列館は、今回新しくできた「織場館」の場所に建物があって一般に公開していましたが、何しろ狭くて小さく使いづらかったのです。それで建て替えてもっと大きくしたいと考えていました。

紬にふさわしい建物として、私はずっと古民家を思い描いていて、新潟まで探しに行ったこともあったのです。
でも遠いし、適当なものもないしであきらめていました。
それが思いがけず近いところ、今の筑西市、下館にみつかったのです。
築150年経つ合掌づくりで、5間×10間の大変立派なものでしたが、人が住まなくなって久しく、ホコリが積もって荒れ放題でした。1月に解体、1月29日に地鎮祭、さまざまな手を加えて復元、8月に完成することができました。

当社は平成18年に創業100周年を迎えましたが、「つむぎの館」完成はその記念行事として一つの大きな節目でした。

大勢の方に足を運んでいただき、紬を見て、触って、体験して、結城紬のすばらしさをぜひ知っていただきたいと思います。 

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